| いろいろなキューバが見えてくる | ||
| Vol.3 「カトー教授のキューバ美術講座」
その2 カトー教授
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さてキューバ美術講座第2回目をはじめましょうか。お正月はモヒートとダイキリの飲みすぎで、21世紀になったのも忘れていたもんね。日本では1月1日は正月元旦だけれども、キューバの1月1日は革命記念日でもあります。だから日本のキューバ・ファンはお屠蘇やお神酒だけでなく、ラム酒カクテルも飲んで1月1日を祝わねばならぬのじゃ。
では復習一発!「HB」とは何の略だったでしょうか、というのが質問。 鉛筆の芯の固さだってか? ブブー! 正解は「ハバナ・ビエンナーレ」の略称で〜す。
じゃあ第3回HBはさらに地域を拡大して・・・とはならなかったんですね。ひとつには参加者を無限に増やすことは出来ない、という財政面と会場スペースの問題がありました。もうひとつはビエンナーレにつきものだった賞制度の問題。参加美術作家の人数は増える、出身国も多様、作品の傾向もバラバラ、となれば入賞者を選ぶ審査委員会の判断は結局ある程度は知名度があり実績もある、大多数の人が納得するような人選にならざるを得ないし、賞をもらわないと自国に帰れない、と泣きつく美術作家もいれば、国家の沽券にもかかわると大使館を通じて政治的な圧力をかけてくる国もあったりして生臭いものになってきたのです。しかし無難な線で入賞者を選んでゆくと、現代美術の世界にインパクトを与えるといったビエンナーレの発想や当初の目的から逸脱するというジレンマに直面しました。そこでHBの開催の仕方を根底から再検討することとなりました。 第3回HBは、第2回HBの3年後の1989年に開催されましたが、構成をガラッと変え、基本テーマに添った作品と美術作家を選んでゆく方式に変えました。普通ビエンナーレというと隔年開催で、そう簡単にスケジュールは変えないものなんだけど、準備の都合で1年延期など決定出来るところはキューバらしいですね。第3回HBは『伝統と現代性』を総合テーマに打ち出す大改革を実施し、また第三世界の祭典であるという性格をより強めました。さらに二つの画期的な企画を打ち出しました。
もうひとつは国民国家(ネイション=ステート)という国家制度を脱構築する形で、国家制度内でのマイノリティー集団やエスニック・グループの主義・主張・伝統文化を代表する美術作家と作品を招待していたことです。どんな小さな国であっても人為的に引かれた国境という枠組みと国家という制度は抑圧の装置として機能することで、西欧中心に発展した近代世界だから西欧においては一定の合理性を持つ国民国家という制度も、グローバルなレベルでは逆に様々な問題を引き起こしている現実、「中心」と「周辺」、「辺境」といった区別や差別のパラダイムの温床であること、国家制度を前提にしていると隠蔽されたり無価値であると認定されてしまうけれども、その枠を取り払ってエスニシティーを基軸とすると宝石のように価値ある美術作品が出てくること、などを明らかにしました。だからこの二点を挙げるだけで無意味なことは皆さんも推察できると思うけど、しめくくりとして、一応41カ国から300人の美術作家が参加した、という統計があることは伝えておきましょう。人数や国数はかなり凝縮された形になりましたが、逆に質は飛躍的に向上しました。
ありゃ、もうそろそろこのコーナーの枠一杯のところまで来てしまいましたね。じゃあ続きは次回ということで。期待して待っていてください。 チャオ チャオ。アスタ・プロント。 (C)Photo by K.Kato 2000.
(続く→その3) |
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