リレー・エッセイ
 
いろいろなキューバが見えてくる
 
Vol.3 「カトー教授のキューバ美術講座」 その2

カトー教授
キューバ、ハバナ市、青空民芸市場の光景、2000年
 
 さてキューバ美術講座第2回目をはじめましょうか。お正月はモヒートとダイキリの飲みすぎで、21世紀になったのも忘れていたもんね。日本では1月1日は正月元旦だけれども、キューバの1月1日は革命記念日でもあります。だから日本のキューバ・ファンはお屠蘇やお神酒だけでなく、ラム酒カクテルも飲んで1月1日を祝わねばならぬのじゃ。
 では復習一発!「HB」とは何の略だったでしょうか、というのが質問。
 鉛筆の芯の固さだってか? ブブー! 正解は「ハバナ・ビエンナーレ」の略称で〜す。
ルイス・カムニッツエル(ウルグアイ出身:第4回HB特別招待作家)作
タイトル:「彼は毎日練習している」
素材:紙にシルクスクリーン写真版画、1991年
 そう前回はハバナ・ビエンナーレ(HB)の歴史の途中で終わってしまったんだよね。従って今回はその続きです。第1回目HBの招待作家が中南米・カリブ圏出身に限定されたのが、第2回HBでは第三世界全体に拡大していった所まで書きました。
 じゃあ第3回HBはさらに地域を拡大して・・・とはならなかったんですね。ひとつには参加者を無限に増やすことは出来ない、という財政面と会場スペースの問題がありました。もうひとつはビエンナーレにつきものだった賞制度の問題。参加美術作家の人数は増える、出身国も多様、作品の傾向もバラバラ、となれば入賞者を選ぶ審査委員会の判断は結局ある程度は知名度があり実績もある、大多数の人が納得するような人選にならざるを得ないし、賞をもらわないと自国に帰れない、と泣きつく美術作家もいれば、国家の沽券にもかかわると大使館を通じて政治的な圧力をかけてくる国もあったりして生臭いものになってきたのです。しかし無難な線で入賞者を選んでゆくと、現代美術の世界にインパクトを与えるといったビエンナーレの発想や当初の目的から逸脱するというジレンマに直面しました。そこでHBの開催の仕方を根底から再検討することとなりました。
 第3回HBは、第2回HBの3年後の1989年に開催されましたが、構成をガラッと変え、基本テーマに添った作品と美術作家を選んでゆく方式に変えました。普通ビエンナーレというと隔年開催で、そう簡単にスケジュールは変えないものなんだけど、準備の都合で1年延期など決定出来るところはキューバらしいですね。第3回HBは『伝統と現代性』を総合テーマに打ち出す大改革を実施し、また第三世界の祭典であるという性格をより強めました。さらに二つの画期的な企画を打ち出しました。
エウヘニオ・ディットボルン(チリ出身:第4回HB特別招待作家)作
タイトル:「エアメイル絵画#91:人間の顔の11番目の歴史(500年)」
素材:シルクスクリーン写真版画、非織布、ペイント、ステッチ、1991年
 ひとつは無名の美術作家、というより職人といった方がいいような人が制作したけど地域的な文化伝統の特色を強く現代に伝えるような民芸品、工芸品も展示したこと。メキシコの仮面、アフリカの針金細工などが現代美術作品と肩を並べて展示されました。美術を純粋アート(ファイン・アート)と実用アート(アプライド・アート)に区分したり、民芸品や工芸品を一般大衆により身近なものであるという理由から下位の表現と位置づける、西欧的な美術の言説への根本的な懐疑を表明したものです。
 もうひとつは国民国家(ネイション=ステート)という国家制度を脱構築する形で、国家制度内でのマイノリティー集団やエスニック・グループの主義・主張・伝統文化を代表する美術作家と作品を招待していたことです。どんな小さな国であっても人為的に引かれた国境という枠組みと国家という制度は抑圧の装置として機能することで、西欧中心に発展した近代世界だから西欧においては一定の合理性を持つ国民国家という制度も、グローバルなレベルでは逆に様々な問題を引き起こしている現実、「中心」と「周辺」、「辺境」といった区別や差別のパラダイムの温床であること、国家制度を前提にしていると隠蔽されたり無価値であると認定されてしまうけれども、その枠を取り払ってエスニシティーを基軸とすると宝石のように価値ある美術作品が出てくること、などを明らかにしました。だからこの二点を挙げるだけで無意味なことは皆さんも推察できると思うけど、しめくくりとして、一応41カ国から300人の美術作家が参加した、という統計があることは伝えておきましょう。人数や国数はかなり凝縮された形になりましたが、逆に質は飛躍的に向上しました。
ホセ・ベディア(キューバ出身:第3回HB大賞受賞者)作
タイトル:「第二の出会い」
素材:壁にポリマーペイント、木、オブジェ他
1992年パリ市オテル・デザールでのインスタレーション(再制作)
 第4回HBは1991年の開催で、内容は翌年1992年の意味を問うという性格のものでした。1992年がどういう年だったかというと、ラテンアメリカ・カリブ圏のみならずアメリカ大陸全体にとっては決して忘れることの出来ない、かの有名なコロンブスがスペインから西回りの航海に出発して、それまで西欧の航海記録には一度も登場しなかった新しい大陸(実際はカリブ海に浮かぶ現在のワトリング諸島のひとつだったんだけど)に到達してからちょうど五百周年にあたる年です。西欧側はコロンブスの「新発見」と称え、偉業として捉えていましたが、それまでアメリカ大陸に住んでいた先住民たちにとっては、以後五百年に及ぶ絶滅や虐殺、従属と差別の歴史が始まる悪夢の始まりだし、アフリカの黒人たちは望みもしないのに奴隷として強制的に連行され働かされた悲惨な歴史の始まりで、「発見」されたことに喜びよりも怒りを覚えるものでした。だから歴史そのものを変えることはできないけれども、受け止め方としては「新発見」ではなく「遭遇」とか「出会い」程度に抑えておきたいという感情がありました。第4回HBも従って、このコロンブスの遭遇以来のラテンアメリカ五百年の歴史を問う、ということが大きなテーマとなりました。
 ありゃ、もうそろそろこのコーナーの枠一杯のところまで来てしまいましたね。じゃあ続きは次回ということで。期待して待っていてください。
 チャオ チャオ。アスタ・プロント。
(C)Photo by K.Kato 2000.
(続く→その3
 
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