このキューバ美術シリーズではキューバの首都ハバナ市で開催されてきたハバナ・美術ビエンナーレの歴史を紹介しています。前回は第五回(1994年)の分までで終わってしまいましたね。今回もその続きです。
第五回HBのキーワードは「ポストモダン」でした。では第六回HBはというと「キッチュ」です。この内容説明は少し後に回すとして、まずこの第六回HBの特徴を拾ってみましょう。第六回HBは第五回HBの3年後の1997年に開催されました。ビエンナーレ(隔年の祭典)という名称ながら、第四回HB以来いつのまにか3年毎の開催になってしまいました。背景には90年代に入って旧ソ連の崩壊や冷戦構造の消滅で急激に悪化したキューバの経済状態や政治的困難という点が挙げられます。また美術も美術の問題だけを論じていれば良い時代から、生態系破壊から人間の地球市民としてのモラル、価値観の矛盾など、美術を取り巻く人間の社会環境全体で20世紀の総決算が求められる世紀末現象の影響も大きなものでした。そこで登場した主テーマは「記憶」です。
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「記憶」といっても様々な側面がありますね。第六回HBではまず二つのエリアが設定されました。ひとつは個人、家族、内輪の人間関係の中で形成されてきた記憶エリアで、もうひとつは社会や歴史、文化伝統といった公的な記憶エリアです。そしてそのエリアがプライベートなものであれ、パブリックに共有されるものであれ、公式に認知された高次な文化現象の記憶でなく、サブカルチャー・レベルの記憶の露出という方針が基底にありました。ここで「キッチュ」というサバルタン(自ら語り出すことのできない民衆)の創造的感性の表象が積極的に取り上げられることになりました。「キッチュ」とは俗悪趣味とか、まがいもの、本来の目的からはずれた使い方をされるもの、あるいは都会生活の中ではもはや存在しないはずの、民俗的文化伝統を装った変態物などと幅広い意味を持つ用語で、70年代初期までは否定的な含意で使われてきました。しかし現在ではポストモダンの手法にそっくりあてはまる物事であると、肯定的な意味で解釈されています。「キッチュ」を巡っては面白い現象がありました。例えばゴミの山の中にコカコーラのボトルがあるとしましょう。そのボトルを拾って美術館に展示する時、先進国の評論家は大量生産大量消費のメカニズムの末端で捨てられたモノのひとつの記号として解釈します。しかし物資不足に悩み、情報を含めて先進諸国文明との断絶の方が大きいキューバや他の貧しい第三世界の人々にとっては、極端な言い方をすればこのコーラのボトルはゴミの山で見つけた宝石のような存在なのです。それが美術館で展示された時は全く違う文脈で解釈しなければいけないわけですね。「キッチュ」というコンセプトが全面に押し出された所でそのキッチュなモノに発する解釈の差異が明らかにされました。その差異はモノやイメージへの「記憶」や体験の違いに発するわけです。
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| 古い冷蔵庫を修理・再生させる町工場光景 ハバナ市、1998年 |
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第六回HBに出展された作品の表現方法は様々ありました。でも特徴的だったのは写真作品が意図的に多く集められたことで、美術館や他のハコ物施設での展示という物理的構造や18世紀以来ステレオタイプの伝統となっていた展示方法の呪縛を脱構築する方針とあいまって、観客には印象深いものとなったようです。また特筆すべきことはこの第六回HBよりヨーロッパ、アメリカ合衆国、それに日本で活躍する美術作家が初めて正式招待されたことです(出身地は国籍や現住地と必ずも一致しませんが)。様々な世界の現代美術の対立の相をより一層明らかにすると共に「共生」の道を探るための積極的な門戸開放への方向転換と受け止められていますが、当然賛否両論あります。でもある意味でキューバが世界の現代美術を動かしているのだという自信の現れでもありましょう。ちなみに作家は41カ国から170名が招待されました。
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ロス・カルピンテロス作「野外の風景」プロジェクト、インスタレーション
ラス・カバーニャス、2000年(第七回ハバナ・ビエンナーレ出品作品) |
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さて昨年2000年11月から今年1月初頭まで開催された第七回HBですが、その準備は第六回HB終了直後から進められました。キューバ国内とキューバ以外の国々からざっと数えても約40名ほどの著名な美術評論家、美術史家、キューレータ、美術作家、美術行政担当者が第七回HBの企画のために指名され、それぞれの問題意識や21世紀の現代美術の方向性について数年をかけて討議し、主テーマや招待作家などを決めてゆきました。主テーマは「別のものとより近いもの」ということですが基本的にはコミュニケーションの問題を扱ったということです。このため従来の分類では異なった範疇で認識され峻別のためのラベル(国、宗教、階級、言語、エスニシティー、様式、等々)を貼られた多様な作家と作品を異なるままに受け入れながらも意外な類似性、共通項、理解不能なものと理解可能なものを作家や主催者が観客共々発見しよう、という演出でした。情報過剰シンドロームと孤立シンドロームという共に現代の典型的な病理現象にメスを入れ、新たなコミュニケーションの地平を切り開こうというものでした。技術革新によるコミュニケーションの広がりが逆にディスコミュニケーションの範囲を広げているというパラドックス関係をいかに止揚し、どのように新たな人間関係を築き上げてゆくか、その原理は何に準拠すべきかへの思考を促す試みが、全ての企画に貫徹していたわけでも、また必ずしも成功したものばかりではありませんが、極めて刺激的な実験ではありました。
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オギベ・オル(ナイジェリア出身、米国在住)作
「実体ある女性たち」(部分)
プラサ・デ・ビエハ(第七回ハバナ・ビエンナーレ出品作品) |
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さて、困った。一応今回で当コーナーHB篇は終わる予定だったのにまだまだ続きそうですね。ここは思いきって延長シリーズを設けましょう。とりあえず、次回は最新の第七回HB報告の続き。ということで バイチャチャオ。