リレー・エッセイ
 
いろいろなキューバが見えてくる
 
Vol.5 「キューバ音楽に魅せられて!」 その1
はじめてのキューバとコンサート

ラテン歌手 マルガリータ恩田
 
キューバ人の友人、娘たちと(右端が筆者、1993年)
 「バナナボートから落ちて骨折しちゃったの」
 「えー、またー、どうして」
 「まったく、無茶ばかりするんだから…。」
 やりたい!と思ったら、すぐにチャレンジし、よく転ぶ私を知っているから“またやった〜!”と笑いの交じった返事が返ってきます。
 いつの間にか心配されるよりも笑いを取るようになっちゃって…私なりに真剣なのですが、何故か事がその様に進んでしまい“困る事多き人生!?”です。

 ラテンの歌を本格的にプロとして初めたのも、15年ほど前の交通事故がきっかけでした。幸い命は、とりとめたものの、人生が一瞬にして終わるということを実感しました。そしてこの体験を通して、親を失った子供達の行く末を切実なものとして考えるようになりました。
 「私でも何かできることがあるんじゃないか!?」この衝動は私を奮い立たせ“コンサートをして交通遺児に寄附をしたい”と強く心に決めたのです。
 今年はスタートしてから10年目。2001年10月19日には、『マルガリータ恩田10周年記念リサイタル』を開催することになりました。

 はじめてキューバに降り立った時は、ハリケーンが過ぎた直後でした。青く光り輝くカリブの海、世界で一番美しいと称される島、生き生きとした草木茂る風景etc…これが私の想像していたキューバ。…が私の眼に初めて飛び込んできた風景は見渡す限り水浸し、どこを見ても荒野!余りにも想像と違う姿でした。 ところがどうでしょう。キューバの人達は、外へ出て、にぎやかに音楽に合わせて踊ったり唄ったりしているではありませんか。
 「今、こんな環境なのに、彼らの陽気さは何?」
 「一体、これは何!!」
 思わず、ボー然。もし、私だったら…と考えると、『明日は明日の風が吹く』などといつもの楽天的な気持ちにはなれませんでした。

 私がキューバを訪れた目的は、唄い手としてのテープ審査を受けること。ラテン歌手になったからには、“ラテンリズムの本場キューバで唄いたい”という夢を実現するためでした。
 自分の歌を吹き込んだテープを持ち、キューバの音楽院に向かいました。多くの音楽関係者に聞いてもらい、審査結果を待ちました。テープ審査が受からなければ、コンサートは出来ません。結果次第で全ての夢がここで終わるのです。「だめなのか?どうしよう?」何とも言い難い不安と緊張感で時を過ごしました。そして5日目。やっと来た結果。吉報!! 受かったのです。
 “本場キューバで唄える!”すべての想いが吹っ飛んで涙がとめどなく流れてきました。無我夢中で突き進み、やっと自分の手で手に入れたキューバ!
 乾杯のビールとつまみを買いにドルショップへ走っていきました。ドルショップの周りはすごい人だかりでしたが、中は外国人が数人、ゆったりと買い物をしているだけでした。当時のキューバは、個人がドルを持てない状況でした。キューバの通貨、ペソしか持てないキューバ人は、珍しさと羨ましさとでドルショップを覗いていたのです。
 約10年前のキューバの実情でした。
 
 テープ審査が、1993年の春に合格、そして秋には、コンサートをすることが決定しました。
「マルガリータ恩田コンサート」の入口で (1993年)
 歌のジャンルもわかからないまま買い集めたレコードは、キューバ系のものばかりでした。表は明るくリズムをきざみ、その裏で哀愁と悲しみ、苦しみを強く、前向きに表現するキューバ音楽、私は、いつのまにか虜になっていました。
 キューバを訪れ、私の心を打ったのは、キューバ人の素朴さ、素直さです。その素朴さの中にキラキラと輝く生きるパワーを感じます。このパワーを自分のものにしたい、必死で土地に溶け込み、キューバ人になりきり、唄い、踊りたいと強く思いました。
 誰が何と批評しようとかまわない、私はキューバ人になりきりたい!!
 この想いでコンサートに挑みました。

上智大生の八木節(1993年秋)
 リハーサルは、朝9時からスタートということでしたが、バンドメンバーも揃わず、楽器も来ないため時が過ぎてしまいました。やっとあの手この手で連絡をとり、遅れている理由がわかった時は既に夕方過ぎになっていました。ガソリンがなくて楽器を積んだ自動車が動かない(楽器も国のもの)事が唯一の理由でした。1991年のソ連崩壊で一斉にガソリンが入らなくなり、スタンドはあるけれど停止状態。闇でしかガソリンを手に入れることが出来ないとわかり、私が40〜60ドルほど渡したことで、やっと自動車は動き、バンドと楽器が到着し問題が解決。また、キューバ人は私たち日本人に対し、申し訳なく思い、事実を早く言えなかったということも、後でわかりました。
 翌日、コンサートが無事開演!・・・が、途中で、停電!
 すると、観客は席から離れはじめました。
  「えッ、どうして!?、停電はすぐに回復するのに・・・」
友好の家(1993年)
 ところがこれは、日本人の感覚。ここキューバでは、一度、電気が落ちてしまうと今度は、いつ回復するのかまったくわからないのです。
 けれど、暗闇の中、私達は夢中で継続して、ラテンの歌の他に群馬の八木節、日本の歌などを紹介しました。すると、キューバ人が感激して、楽屋へどっと押し掛け、すばらしかったと賞賛してくれたのです。
 言葉は通じなくても、歌を通してコミュニケーションが新しく生まれることを痛感しました。
カールマルクス小ホール(1993年)
 キューバでは、停電は日常茶飯事。停電したら1日中ずっと電気がつかない事も多いので貴重品はロウソク。電気がつくまであせらずに待つ。夜、つかなければ次の朝、太陽が昇るのを待つ。自然に逆らわずにゆったりと生活をしているのです。

 キューバでの生活は、次から次へハプニングが起きるのです。
 
 ”本場キューバで唄いたい”、という夢を実現するためにキューバに初めて行き、コンサートが終わるまで本当にハプニングの連続でしたが、この体験を通し教わったことの方が多い気がします。国が異なり生活環境が違うと、こんなにも感じ方や行動に差異が生じるということを実感したと同時に、音楽を通して心が通いあうことをも強く痛感しました。

 私の心のキューバ!!
 青い海、手を加えない自然の美しさを持つキューバを、いつまでも残していて欲しいと願わずにはいられません。
(続く→第2回


マルガリータ恩田10周年記念リサイタル
10月19日(金)18:30開場/19:00開演
高崎市文化会館
(高崎市末広町23-1 Tel:027-325-0681)
料金:¥5,000(税込)  全自由席
チケットインフォメーション:*オフィス  おんだ
Tel:027-347-1001 Fax: 027-347-1002
e-mail:m.onda.2@sweet.ocn.ne.jp
 
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