| いろいろなキューバが見えてくる | |
| Vol.6 「日本とキューバとの架け橋に」
その2 (有)トラベルボデギータ取締役 清野 史郎
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同級生は皆キューバ人。それまで品のいい外国人技術者の子供達と平穏に過ごしていた学校生活が一変してしまう。ハバナの下町アバナ・ビエハとセントロ・アバナに挟まれた場所にあるこの学校には、近くに住むキューバ人労働者の子供たちが通っていた。
転校したその日にトイレに行く途中、突然後ろからつかまれた。宙に浮いたかと思ったその瞬間、女子トイレの前でたむろしている女の子達の中へ投げ飛ばされてしまった。前歯が黒人の女の子の広いオデコに刺さり、挙句の果てに痛みで泣き叫ぶ彼女にピンタを食らった。笑い転げている黒いのや白いのや、黄色い奴らの中から犯人探しを始めたところ、今度はふくろ叩きにあってしまって、こんな学校でやっていけるのかとその日は涙しながら悩んだが、どうする事も出来ない。両親が、日本に帰った時のことを考えて分校のような小さい学校より競争が激しい大きな学校に慣らせようと転校させたのだが、かなり迷惑な話だとその時は親を恨んだりした。 よく学校の階段に血がこびり付いていて、それを拭く掃除のおばちゃんの姿があった。喧嘩は日常茶飯事。ナイフを持ち歩くなんて男の身だしなみだったし、目の前で下級生がナイフで相手の腹を刺した時には失神しそうにもなったが、それもそのうちに慣れてしまった。休み時間には素手で殴り合うボクシング大会をやって腫れ上がった顔をしながら、ジャブを受けた影響で先生の叱る声が耳鳴りがして聞こえない事も。妊娠していた同級生もいたが、そんな女の子には皆優しく接していた。キューバでは子供の頃から妊婦や年寄りに席を譲るのを教え込まれる。もちろんキューバの男どもは女性にはすぐ何でも譲るが…
学校には音楽室や体育館がなかったが皆音楽好きだし身体能力が高い。そんな学校には給食があった。基本的には両親が共稼ぎの場合だけ給食のある学校に行けた。片親だけが働いている場合は給食がない学校へ通い、家に帰って昼飯を食べる。給食で出されていた食事はもちろんキューバ食。食堂にはクラスごとに並んで、アメリカ映画に出てくるような囚人が使うペラペラのアルミ製のトレーに、毎日のように黒豆の煮込と白いご飯をカレーライスのようにどっさりと盛られる。他のおかずは殆ど何にもなかった。日によって黒豆の炊込みごはんのコングリやトマトソースで煮込んだひき肉のピカディージョやスクランブル・エッグをやはり白いご飯にどっさりとかけて食べる。そしてデコボコのアルミのカップの温まってしまった濃厚な牛乳で食べ物を流し込んでいた。牛乳がなくて水だけの日がどれだけ嬉しかったか。30年以上も経っているのにあのドロドロの牛乳の舌触りが思い出のなかから蘇る。今でも冷たい牛乳は幾らでも飲めるけどホット・ミルクは苦手だ。 食文化をみればその国の歴史がわかる。コロンブスがキューバを発見したころの原住民、インディオたちの痕跡があまり残っていない。でもピーマン、唐辛子、タロ芋にも似たマンディオカ芋、とうもろこし、トマトは、今でもキューバ食には欠かせない食材。唐辛子はカリブ海沿岸にもともとあったものだが、インディオが殆ど絶滅してしまったキューバではあまり使われる事はない。キューバ人は辛いものが大の苦手。キューバの東部では多少食べるが、ハバナでは胡椒でさえあまり料理に入れないように気を使う。ラテンアメリカというとどうしてもメキシコを思い浮かべるのだが、日本人は皆この地域の食べ物が辛いと思い込んでいる。 スペインの統治が始まったころに移民してきたスペイン人の殆どは、海のないエストレマドゥーラ地方出身者が多い。彼らは豚と豆の煮込みを持ち込んだが魚介の食べ方を知らなかった。エストレマドゥーラ地方は内陸でかなり寒く、貧しいために、新大陸への冒険に出かけて行った人が多い。キューバ最初の総督ベラスケス、メキシコを統治したエルナン・コルテス、インカ帝国を破ったピサーロも皆エストレメーニョス。暑い国で豆の煮込みが多いが、海に囲まれながら魚介を食べる習慣がない。 スペインの影響を受けている国で最も多く食べられる食肉は豚である。雑食の豚の生育が早く、手がかからないと言う事もあるが、実際、歴史的な理由もある。1492年にスペインのカトリック勢力が異教徒をイベリア半島から追い出すことに成功。何百年もの間、ユダヤ人やモスレム人がその地に根をおろし生活していた。異教徒達の中にはその地を離れる事に抵抗した者が多くいた。彼らは異教徒ではない証に宗教上食する事を禁じられている豚を飼うことでスペインに留まった。スペインでは生ハムや腸詰が多く食べられるのもそう言った理由から来る。余談になるが、21世紀を迎えた現在のイスラエルには、当時追い出されたユダヤ人の子孫が500年前のスペイン語を今に伝える。
奴隷貿易が禁止になった19世紀後半から中国人が安い労働力としてキューバにやってきた。その時期には既にキューバ料理の基本が出来あがっていた。炒め物は一般家庭でまずはやることはない。最近は中華料理で野菜の炒め物を食べるようになったが、元々はあまり野菜好きではないし、豆腐も根付いていない。そんな理由で中華料理の影響なんてそんなにはないと思えるのだが、キューバ人は焼き飯が好きだし、隠し味に中国の濃厚醤油を使うこともある。 革命前、キューバのお金持ちはスペイン料理を中心としたヨーロッパの高級料理を堪能していたらしい。スペインのオリーブ・オイルも売られていたがそんなものは庶民の口に入ることはなかった。サラダ油よりラードで料理をするのがキューバ的。一番だしは鶏ガラスープ、豚肉やベーコンをたまねぎとピーマン、にんにくで炒めて、そして味付けは塩が中心。これがキューバの料理の基本だが、革命前には手軽なアメリカの食文化に代表されるハンバーガー、ホット・ドッグ、アメリカ風ピザがキューバの庶民の知るところとなった。ともあれマクドナルドがキューバにない事が救いだと思うが。 (→続く)
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