リレー・エッセイ
 
いろいろなキューバが見えてくる
 
Vol.6 「日本とキューバとの架け橋に」 その4

1987年春、15年ぶりのキューバ行き

(有)トラベルボデギータ取締役 清野 史郎
 
バラデロ海岸
 
 成田からガラガラの大韓航空でロサンゼルスに向かった。久々の国際線に興奮しながら,暇そうにしているスチュワーデスを肴にとにかく酒を飲み始めた。そう言えばあの頃はタバコも吸えたしちょっとした高級クラブにいる気分。
 ホロ酔い気分でウトウトしていると途中の経由地ホノルルに降り立った。米国の入国審査を太平洋のど真ん中で受ける事になっていたとは知らされてはいなかったのでビックリしたが、日本人のあこがれの地ハワイを体験するつもりになって少ない乗客の後について行くしかなかった。そしてエーリアンになったつもりで入国審査の列に並んだ。
 出発する時から予想はしていたけど、やはりパスポートに貼ってあった在京キューバ大使のサイン入りのビザがチェックされてしまった。一人個室に連行、何故キューバに行くんだと詰問され、「俺の勝手でしょう」と言おうとしたが米国入国を拒否されて日本に逆戻りなんてみっともないと思い、共産国のキューバだけど、遠い親戚が移民して住んでいて病気のため会いに行く、と嘘をついて難を逃れたが、国際政治にうとい国民に何を言っても仕方がないし、干渉するこの国がますます嫌いになっただけ。
 やっとの思いで米国の入国を済ませた。そしてターミナル間の移動中にやしの木々が窓越しに見えてきた。久しぶりに見る常夏の景色に心が和み、キューバへの思いが駆り立てられた。4月だって言うのに熱い。懐かしい熱さに汗ばみながら気分は先走っていた。

ボデギータ
ボデギータ@ハバナ
 3時間ほど待たされてやっとロサンゼルスヘ向けて出発。ガラガラであり続ける機内では米国留学をするという20代前半の女性が間をおいてとなりに座っていた。英語が話せなくてロサンゼルスが不安だとしきりに訴えていた。ロサンゼルスに着いて出迎えの人がいなかったらどうしようと繰り返し、酒のおかわりをする酸欠気味の、けして濃くない俺の脳みそを苦しめていた。
 そんなに心配なら行かなければいいのにと言うと、子供の時からあこがれだったからとほざく。もう少しましな顔をしていれば親身になって考えてあげられたが、本能が邪魔する。一刻も早くロサンゼルスに到着する事を願って眠りについた。
 馬鹿でかいロサンゼルス国際空港に着いた。夜の8時ごろだった。しょうがなく例の女性を連れて出迎えの人をいっしょに探すことにした。ごった返す人ごみの中からそれらしき人を見つけだした。日本の街中でも見る"アナタハカミヲシンジマスカ"と言って寄って来る典型的なアングロサクソン系の、一見まじめそうな風貌をしていた。何故だか、彼女を宜しくと、まるで親戚になったつもりで彼に伝えた。喜ぶ彼女のうしろ姿を後にして自分もメキシカーナ航空のカウンターを探し始めた。
 そういえば数年後パリへ向かうバルセローナからの列車に居合せたペルー人女性が一人ベルリンへ向かう事になっていた。パリでは乗換駅が違うのでとても不安だとしきりに繰り返していた。最終的にはその彼女にもベルリン行きの列車に乗せるまでずーっと付き合わされた。もう少し若い美しい女性だったらと思ったが女性に変わりがないと納得する事にした。
 実は自分も初めてのロサンゼルスの空港が不安だった。ターミナルへの移動が分からずにいると、怪しい人間が片言の日本語で近寄って来た。メキシコ行きは空港が違うと言う。1時間以上離れたところに空港があり、50ドルで連れて行くと言うのだ。それも一人ではない。何人も近寄っては同じ事を言う。不安から騙されそうになったが、ターミナルを移動してやっとの思いで見つけた。出発まで4時間以上もあって、まだ誰もいない。1時間ぐらい待ったがやっとメキシカーナ航空のカウンターが開いたのでチェックインを済ませ、さっさと出発ゲートに向かった。出発時間は夜中の1時。人がまだ誰もいなくて、近くのバーで暇をつぶす事にした。
 バーカウンターでは訛りの強い英語を話す黒人の兄ちゃんが働いていた。出身を聞くとエチオピアだと言っていた。1ドル札を差し出そうとして間違ってキューバの1ペソ札を渡してしまった。エ!これは何処の金なんだと、目をまん丸くした。キューバだと答えるとまん丸い目がよけいにまん丸くなって、何故日本人がキューバに行くんだと聞かれたが、また同じ遠い親戚の話を持ち出してしまった。キューバ軍が77年にエチオピアを支援して駐留していた事を思い出した。その後、彼との話がやけに盛り上がってしまった。日本を出発してから15時間以上酒を飲み続けていることに気がついた。

ハバナのカーニバル
 出発2時間前からメキシコ人たちがぞろぞろやって来た。出稼ぎが終わって皆大荷物を抱えて里帰りする様子が伝わってくる。バーカウンター越しにスペイン語が飛び交い、ソンブレロを頭に載せた彼らはビールを勢い良く平らげる。ビール腹の下にやっとの思いでぶら下がっているズボンのベルトがラティーノスの象徴でもあるかのように、皆同じような体形をしていて、飾らないその姿がかわいく見える。食うだけ食って、飲むだけ飲む。ビバ・ラティーノスの気分。
 夜中を過ぎてやっと飛行機に乗りこむ事が出来た。一安心のつもりだったが、ぎっしりと人間が積みこまれた機内には煙草と酒の臭いがたちこめ、仕事帰りの男たちの悪臭が混ざり合う。狭いエコノミーの座席からはみ出す太い肉の塊と、足場を占領されていた荷物のせいで、窮屈で仕方がない。飛び立ったばかりの飛行機が斜めになってベルト着用のランプが点灯しているにも関わらずトイレに列をするメキシコ人たちが、大声で静止するスチュワーデスに食ってかかる。眠くて後は着陸するまで何も覚えていない。
 朝5時にメキシコ・シティーへ到着。2日酔いと標高2000メータもあるためか頭が痛い。ハバナ行きのフライトが12時間後の夕方5時。空港でこのまま待つ事が耐えられそうもないので、空港前のホテルで部屋を取って休む事にした。バスタブに1時間ぐらい寝ながら漬かっていた。生き返った気分で日本から持ってきていたカップラーメンを食べ、ベッドインを試みた。眠れない!時差ボケが始まった。

 ハバナ行きのメキシカーナ航空は定刻に出発してくれた。2時間ほどでキューバの淡い灯りが見えてきた。15年ぶりのキューバが眼下に広がる。タラップを降りた瞬間、キューバの大地にくちづけでもしようかと、ドラマチックな光景を自分で描いていた。子供の目で見ただけのキューバが、頭の中で回り始めていた。この旅の目的は特別なかった。あまり来るつもりもなかったが、母親に航空券を渡されて来てしまっただけだった。
 突然滑走路が暗闇の中から浮かび上がった。無事着陸。日本を出てから40時間近く経っている。興奮している為かその時点ではあまり疲れを感じていなかったが、とにかく長い旅だった。その時初めて、何故こんなルートでやって来たのか疑問に思った。航空運賃が87年当時で18万円だったと思う。その頃これが一番安かったんだと思うが、出発間際まで地方で仕事をしていて航空券を渡されるまでは何も聞いていなかった。
 地球の裏側のキューバにやっとの思いでたどり着いた事を実感した。

ハバナ ホセマルティ国際空港
第1ターミナル(国内線)
 タラップを一段づつ噛みしめるように降りた。空港のライト以外はあたり一面真っ暗。滑走路から歩いて空港建物まで、まばらな列を組んで入って行った。入国審査が終わって荷物が出てくるまで2時間待った。ベルトコンベアが遅いのか、人間が荷物を取り上げるのが遅いのか、時間が止まったかのようだった。遅いと文句を言う人は誰もいない。みんなおしゃべりと言う武器を持っているためなのか。
 外には友人が何人か迎えに来ていた。キューバの空手の第一人者で日本に空手留学をしていたラウル。プレンサ・ラティーナ通信社で東京に赴任していたカルロス家族、そして在日キューバ大使館に勤めていたマリーアおばちゃん。みんなで数年ぶりの再開を喜んだ。彼らは日本に赴任していた頃は小奇麗な格好をしていたがキューバでは普通のおじさんとおばさんになっていた。
 その日泊まるところが決まっていなかった。ラウルはマレコン通りのドゥビール・ホテルの支配人と知り合いだと言うのでそのホテルに行く事にした。荷物はカルロスの車に乗せたが座るところはない。用意されていたのはラウルがまたがるスズキのバイクの後部座席。せっかくのハバナなのに市内までラウルの背中にくっついて腹に手を回しながら行く事になってしまった。

サンチアゴ・デ・クーバのモロ要塞
独立戦争当時の軍服で
時砲を撃つところ
 15年ぶりに見るキューバの町並が暗くなっていた。建物の色があせて、街灯が少なかった。道路は穴だらけでバイクに乗っていて何度か振り落とされそうになった。
 その晩マリーアおばちゃんの家で宴会が待っていた。キューバ食に音楽、そしてラム酒。そしてまた飲みはじめた。飲み疲れていたが、数杯飲むとどうでもよくなる。
 遠いキューバに15年かけてやっと戻ってきた。嬉しかった。
 翌朝6時に目覚め、マレコン通りをひたすら歩いた。

日本人の訪問客も増えてきた
キューバの観光について
 1987年ごろのキューバには東欧からの観光客が殆んどだった。
 1990年の観光客数は34万人程度。
 2000年には180万人を超えた。日本人にいたってはまだ少数だが、昨年9400人行っている。
 カナダが一番多くて、ドイツ、フランス、イギリスとヨーロッパ勢が続く。
 ここ10年でインフラがかなり整備され、ホテルの数も海外からの投資に助けられかなり早いピッチで建設が進んでいる。
 日本からのアクセスも10年前に比べ乗り継ぎ時間など楽になって、ルートも増え当日着出来るものもある。
 残念ながら米国からの直行便がないので、他のカリブの島々に比べまだ日本人にとって遠いが、昨年から日本航空のチャータ便が夏だけ期間限定の関空発直行で飛び始めた。

 アメリカ大陸で最も安全な国のひとつで文化的にも面白みのある国であり、今後ともカリブ海のなかでも最も期待される観光地として注目を浴びている。

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(C)Photo by Seino Shiro (終)
 
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