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| バックナンバー2002.06.26 |
| リナレス内野手、中日ドラゴンズ入り |
| 7月29日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| リナレス、先制打 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7月28日、甲子園球場で行われた阪神戦で、オマール・リナレス内野手が、4回表の第2打席1死1・2塁でライト前ヒットを打ち先制点を挙げた。打率は未だ1割7分6厘だが、本塁打を含むヒット3本はすべて打点付きで、通算打点5。 試合は3−1で中日が勝った。
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| 7月28日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| リナレス、来日初本塁打 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7月27日、甲子園球場で行われた阪神戦で、オマール・リナレス内野手が、来日初の本塁打を放った。1回表、2点を先制した直後の1死1塁、カウント0−1からカーライルのカーブを左翼席中段に打ち込んだ。 試合は6−0で中日が勝ち、連敗を「2」で止めた。
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| 7月24日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| リナレス、一軍V打デビュー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7月23日、ナゴヤドームで行われた広島戦で「5番・一塁」で公式戦初出場したオマール・リナレス内野手が、1−1の8回無死2、3塁で、左前に勝ち越しの2点適時打を放った。 リナレス自身、「狙っていた球じゃなかった」と振り返るように、第1打席から黒田投手の変化球攻めにあい、ここまで3打席凡退、狙いを変化球に絞っていたところへ内角の直球が来たが、俊敏な反応で球をとらえ、三塁手の頭上を越える決勝打をきめた。 試合は5−1で中日が勝ち、連敗を「3」で止めた。
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| 7月15日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| リナレス内野手が来日、名古屋入り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 7月13日、オマール・リナレス内野手がメキシコ、成田空港経由で名古屋へ到着した。背番号44番のユニフォームを手に、記者会見も行われた。 翌14日は休養の予定だったが、ホテルのウェートトレーニング場で1時間ほど汗を流した。15日にはチームの練習に合流し、山田監督をはじめ、選手、スタッフと顔を合わせる。 オマール・リナレス 所属チーム ピナールデル・リオ 2002年 第41回ナショナルシリーズの成績
決勝リーグ
生涯成績
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| 6月26日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| リナレス内野手の中日ドラゴンズ派遣を決定 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 6月25日、キューバから中日ドラゴンズに「オマール・リナレス内野手(34)を派遣する」との連絡が入った。来日の時期などは未定とのことだが、アマ最強国キューバの主力級選手がプロ野球界に入るのは初めて。 オマール・リナレス 1967年10月、キューバ生れ。85年に17歳でナショナルチームに入り、88年の世界選手権優勝に貢献。以後キューバに同選手権4連覇、バルセロナ、アトランタ両五輪で金メダルをもたらした主砲。184センチ、90キロ。右投げ右打ち。三塁手。 |
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